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世界最大級の鉄鉱石専用船 三代目"BRASIL MARU"竣工

2007年12月10日

当社が、新日本製鐵株式会社との長期輸送契約に投入する、世界最大級の鉄鉱石専用船"BRASIL MARU"(約32万トン)が竣工し、12月7日「命名・引渡式」を三井造船株式会社千葉事業所で行いました。

BRASIL MARUは、南米航路で輝かしい歴史を刻んだ貨客船「初代ぶらじる丸(1939年建造)」「二代目ぶらじる丸(1954年建造)」の由緒ある船名を引き継いだ三代目です。
式典には、新日本製鐵 社長 三村明夫 様、三井造船 社長 加藤泰彦様をはじめとする多数の関係者が参加され、三村社長ご令室による支綱切断、三村社長による命名が行われました。さらに、二代目ぶらじる丸に乗船されたお客様のご出席や、船長をはじめとする最終航海時の元乗組員の参加もあり、往年を振り返りながら二代目から三代目へとバトンタッチし、竣工を祝いました。
同船は、命名・引渡式終了後ブラジルに向け就航し、まさにブラジル移民100周年に当たる2008年から、ブラジル産鉄鉱石の日本向け輸送に従事します。

当社はBRASIL MARUの竣工をもって、日本船社として初めてとなる30万トン級の鉄鉱石専用船(VLOC=Very Large iron Ore Carrier)による輸送に本格的に進出します。2009年8月には、当社が運航する30万トン級の鉄鉱石専用船は5隻(BRASIL MARUを含む)になる予定です。

【BRASIL MARUの概要】
全長:340.00メートル
全幅:60.00メートル
喫水:21.13メートル
載貨重量:327,180トン
造船会社:三井造船株式会社

【契約概要】
契約内容:長期連続航海輸送契約
貨物:鉄鉱石
積地:ブラジル鉄鉱石主要積港 (ツバラオ、ポンタ・デ・マデイラ)
揚地:新日本製鐵主要製鉄所(大分・君津など)
輸送量:年間 約140万トン

●ご参考
【初代ぶらじる丸】貨客船 1939(昭和14)年12月23日竣工 12,752総トン
初代"ぶらじる丸"は、1939年5月末に建造された「あるぜんちな丸」の姉妹船として同年12月に竣工し、大阪商船(商船三井の前身)の西航世界一周航路に投入されました。
性能・設備などあらゆる面で、当時の日本の最優秀船であり、一等船客・貴賓室の室内装飾は、和風趣味豊かな最高級ホテルに匹敵するものと評されました。 1940年1月に、横浜から南米へ向けて処女航海し、3カ月で世界一周を達成しました。神戸港からサントス港間は、従来より航海時間を10日短縮し36日で航行しています。
しかし、太平洋戦争激化によりその航海もわずか3回、同年9月11日横浜出港をもって終了し、翌年に比較的安全な大連航路に転配されていましたが、9月4日海軍によって徴用されました。1942年8月にトラック島付近で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没しました。

【二代目ぶらじる丸】貨客船 1954(昭和29年)7月10日 竣工 10,100総トン
第2次世界大戦により、ほとんどすべてを失った日本海運でしたが、戦後の復興は目覚しく、1950(昭和25)年の定期航路民営還元後、大阪商船はただちに南米航路を再開しました。
二代目も当時の日本を代表する優秀な貨客船として1954年7月30日に神戸港から、パナマ運河経由ブラジル航路に就航しました。1952年から73年まで21年間の日本における移民船活躍期間の中核船舶として、姉妹船「あるぜんちな丸」とともに、多くのブラジル移民の方々や海外旅行者を運びました。戦後日本からの移住者数は、合計約6万3,000人、そのうちブラジル移民約5万人の大半を弊社の船隊が輸送しました。
移民者数の後退とともに、同船は1972年11月に現役を退きました。そして1974年から22年間、中国に売船されるまで、海上パビリオン「鳥羽ぶらじる丸」として三重県鳥羽港に係留され、優美な船体に魅了された多くの客船ファンが訪れました。