海の向こうから
Mitsui O.S.K. Lines Lanka(Pvt)Ltd.
中島 潔(なかしま きよし)
長い歴史を刻むやすらぎの島

旧市街ペター地区のモスク。イスラム教徒の商人の店がぎっしり並び、海のシルクロード時代の繁栄がしのばれます
 スリランカは北海道よりもやや小さな面積で約2,000万人の人口を擁する島国です。GDPは日本の200分の1ほど。小国とあなどるなかれ、何と日本より800年も古い建国の歴史を持っています。紀元前483年(日本ではまだ縄文時代末期!)から1815年英国により王がインドに追放されるまでの間、同一の王朝が2300年も続きました。これは世界にもほかに例がありません。
 国名のスリランカとはシンハラ語でSriが「聖なる」、Lankaが「燦然(さんぜん)と輝く」で「聖なる光り輝く島」という意味です。1972年に英国のCommonwealthから共和制に移行した際この国名になりましたが、それ以前はセイロンと呼ばれ、その名を冠した紅茶の芳香とともによくご存じのことでしょう。更に遡ってヨーロッパ人による大航海時代のずっと前、「海のシルクロード」を支配していたアラブ商人たちからは「Serendib」(やすらぎの島)と呼ばれ、これがセイロンの語源といわれています。当地の人々は、自国のことを誇りと愛着を持って 「Island」と呼びます。小員の国外出張中、スタッフは「He is out of Island」といいます。

法事後の僧侶のお食事風景。僧侶に食事と身の回り品を差し上げているところです
コロンボは今日も雨

ペラヘラ祭で、全身をスパンコールに包まれた象。美しく着飾った象が100頭以上練り歩く様は壮観です
 熱帯モンスーン気候でインド洋に出っ張った位置にあるコロンボでは、よく雨が降ります。5〜9月はインド洋から吹く南西モンスーンで雨季、11〜3月はベンガル湾から吹く北東モンスーンで雨季。つまり乾季は4月と10月だけ! でも海のシルクロードの時代には、このダブル・モンスーンが帆船を双方向に走らせ、コロンボをして東西の文化・経済交流の拠点たらしめていたのです。
 巨大コンテナ船の寄港する現在も、コロンボ港の地理的優位性は変わらず、印パ、バングラデシュや中近東、東南アフリカをトランクラインと結ぶハブとして重要な役割を担っています。

慈愛の島

オフィスのベランダでスタッフたちと。女性スタッフは優雅なサリーを普段着として着こなしています
 コロンボ港には、日本のODAが1980年代以降通算7,000億円以上使われています。1951年のサンフランシスコ講和会議で、故ジャヤワルダナ大統領が仏陀の言葉「憎悪は憎悪によって止むことなく、ただ愛によってのみ止む」を引用し対日賠償請求権を放棄、これにより日本が戦勝国からの巨額の賠償や領土分割の要求から救われました。以来、スリランカと日本は極めて良好な関係が続いており、これがODAの額にも表れているわけです。
 最近、日本のメディアがスリランカに言及する場合、20年以上続いているタミル人武装組織との紛争であるとか、30,000人以上の犠牲者を出した先の大津波といった、ネガティブな題材が続きました。しかしこの3年間、コロンボ港のコンテナ取り扱いが毎年11.6%増加していることからわかるように、スリランカは今後もほかの南アジア諸国とともに成長を続けていく潜在力を間違いなく持っています。また、スリランカは世界遺産が7つもある観光資源に恵まれた国。更に、サファイア、ルビー、アクアマリン、トルマリンなど様々な宝石が採れ、リーズナブルな価格で手に入る宝石の島でもあります。人々も優しく純朴です。ぜひ一度お越しください。