進水式ツアーその1

もくじ

2023年1月以降、大阪~別府航路にて日本初のLNG燃料フェリーとなる「さんふらわあ」の新造船2隻が運航を開始します。2022年8月30日、2番船の命名・進水式が行われました。その命名・進水式を見学する大阪発のツアーに、“航海作家”の金丸知好さんが参加。大阪南港を出発して「さんふらわあ」で別府に渡り、門司港駅周辺散策~下関の造船所での進水式見学~別府で温泉入浴して、再び別府から「さんふらわあ」で大阪へ戻るツアーです。その様子を金丸さんがルポにまとめました。まずは前編です。

後編はこちら→

ふたつの50周年

8月29日、午後5時。
「さんふらわあターミナル(大阪)」にやってきた。
目指す方角から、にぎやかな音楽が流れてくる。
それは琉球民謡だったり、沖縄のポップスだったり。
ハーバーアトリウムでは期間限定の沖縄物産展が開かれており、現地の食べ物やお菓子、泡盛やビールなどの飲料が所狭しと陳列されていた。
今年は沖縄が日本に復帰してから50周年。こうした沖縄に関する催しも多いような気がする。
これから始まる旅のお供に、いかにも南国らしいマンゴージュースと銘菓「ちんすこう」を買った。

買い物を終えて、ハーバーアトリウムの片隅にある、ガラスケースに展示されているモデルシップに気づく。
そこでもうひとつの50周年を想起する。
「さんふらわあ」という船がこの世に初めて登場してから、2022年の今年でちょうど半世紀。
モデルシップは1972年に名古屋~高知~鹿児島航路でデビューし、瞬く間に一世を風靡した客船「さんふらわあ」のものだった。
後方デッキにはプールが付いており、プールサイドにはいくつものカラフルなパラソルが立っていて、見ているだけで気持ちがウキウキしてくる。
高度経済成長で日本国民のレジャー気分が高まっていた時代、人々の気持ちをわしづかみにしたことが、模型からもうかがい知れる。

初代さんふらわあモデルシップ。豪華な造りが目を引く。

モデルシップと現役船のバトンリレー

「さんふらわあ」の模型から視線をさらに先へと動かした。
ターミナルを覆う一面のガラス窓の向こうに「さんふらわあ こばると」が見える。
不思議な光景だった。
あまりの人気沸騰ぶりに、1974年までの3年間で5隻の「さんふらわあ」が登場した。
しかし、高度経済成長の終焉と客船からカーフェリーの時代へと推移するなか、さんふらわあ5姉妹は1990年代に1隻また1隻と姿を消す。
最後まで残ったのがモデルシップとしてその姿をとどめる初代「さんふらわあ」だった。

ケース内の初代さんふらわあ&ガラス越しの「さんふらわあ こばると」。
ケース内の初代さんふらわあ&ガラス越しの「さんふらわあ こばると」。

輝かしい記憶を人々の脳裏に刻み付けた「さんふらわあ」にも終わりの時がやってきた。
1998年4月、関西汽船の大阪~神戸~松山~別府航路に就航していた「さんふらわあ」は引退。そのバトンを受け継いだのが「さんふらわあ こばると」だったのだ。
モデルシップに姿を変えた「さんふらわあ」と、2時間後に迫った出航を待つ「さんふらわあ こばると」。
バトンリレーのように並び立っている姿が、印象的だった。
その「さんふらわあ こばると」も、まもなくその歩みに幕が下りようとしている。

ツアーの持つ重みと、静かな受付との落差

沖縄物産展が開かれているアトリウムに面して、フェリーさんふらわあの乗船受付カウンターがある。
その前に一台のテーブルが用意されていた。
こちらが今日から2泊3日の日程で行われる「さんふらわあ進水式見学と門司港レトロ」ツアーのための特設カウンターだった。
主催は「さんふらわあトラベル」。このツアーは明日(8月30日)、三菱重工業下関造船所江浦工場で執り行われる、大阪~別府航路の新造船の命名・進水式を見学できる企画だ。

フェリーさんふらわあの乗船受付窓口(別府行)。進水式ツアー参加者の受付は手前の特設カウンターにて。

受付開始は午後5時半からとのことだったが、その20分前でも対応していただけた。
出発の日、受付前は多くのツアー参加者でごった返す。
そんなシーンを想像していたのだが、実際は参加者がぽつりぽつりとやってきては、待合室に消えていく。
さんふらわあの歴史の転換点を目撃するメモリアルなツアーにしては、あまりにも小ぢんまりとした仮設の受付。
そこでのツアー参加者全員の手続きも静かに、そしていつの間にか終わっていた。
ツアーの持つ歴史的な重みと、あまりにも静かな受付の光景。
その落差に軽い衝撃を覚える。

2時間で完売したツアーチケット

ツアーは往復フェリー利用の大阪あるいは神戸発着と、日帰りの大分・別府発着の3つのプランがある。
さんふらわあトラベルによると大阪発着が21名、神戸発着が22名、そして大分・別府での集合解散が40名と、かなり人数を絞ったツアーとなっているという。
その分、ツアーチケット争奪戦は激しくなった。
7月15日午前10時に電話受付が始まり、2時間ですべてのプランが完売した。
大阪か神戸発着に漏れたので、大分・別府集合解散のコースになんとかもぐりこんだという人もいるという。キャンセル待ちの数は、申込者の倍以上にのぼった。

なかでも人気が高かったのは、この大阪発着だった。
理由は往復利用する船にあった。
今回の進水式で産声を上げる新造船は大阪~別府航路に就航する。
新造船のデビューによって引退するのが、まさに目の前にいる「さんふらわあ こばると」。去りゆく船に乗り、新たな船の誕生を目撃することでその交代劇を実感したい。
そんな気持ちにさせられるのも無理からぬことであった。

船へと連なるタイムマシン

乗船の案内がアナウンスされ、ターミナルと船をつなぐ長いボーディングブリッジを渡る。
このブリッジは、もしかしたらタイムマシンなのかもしれない。
ブリッジの壁面には関西汽船の別府航路第一船だった「(初代)むらさき丸」(1942年就航)、瀬戸内海の観光船幕開け第一船の「くれない丸」(1960年就航)、1984年末に初代「さんふらわあ」とともに別府航路に投入された「さんふらわあ2」、そしてこの時点では現役の「さんふらわあ あいぼり」(1997年就航)という、別府航路を彩る名船たちの写真パネルが年代順に掲示されていたからだ。

(初代)むらさき丸
レトロ感たっぷりに描かれた新造船「さんふらわあ くれない・むらさき」ポスター。

乗船口手前にあるポスターでこのタイムマシンは締めくくられる。
一見、戦前の大阪商船時代を思わせるようなレトロポスター。
しかし、よく見ると次のように記されている。
祝2023年春 就航
さんふらわあ くれない・むらさき
「さんふらわあ くれない」と船体に書かれた新しい船を見るために岸壁に集まった人たちの手にはスマートフォンやiPad、そして若者に人気のスケートボードがある。
そして「百年の時を経て 日本初LNG燃料フェリーで復活!」という文字が添えられる。
この3月に進水した「さんふらわあ くれない」。
その妹として、あすの進水式で命名される船の名もポスターにあった。

17年ぶりの「さんふらわあ こばると」

「さんふらわあ こばると」に足を踏み入れた。
筆者にとって別府航路および同船の乗船は実に17年ぶりのこととなる。
2005年秋、この年の春に創刊された船内誌「さんふらわあ」の第2号取材で大分県湯布院へ飛んだ。湯布院での取材を終えて、次に控える大阪での取材のために乗船したのが「さんふらわあ こばると」だった。
ところがそれ以後、別府航路との縁がぱったりとなくなった。
航海作家という仕事柄、新たに登場するフェリーへの乗船およびその紹介が主となる。
大分航路の「ごーるど/ぱーる」(2007/08年就航)、志布志航路の「さつま/きりしま」(2018年就航)には何度も乗船するが、ベテラン船が就航する別府航路への乗船機会はなかなかめぐってこなかったのだ。

「さんふらわあ こばると」の船内エントランス。
「さんふらわあ こばると」の船内エントランス。

ここ数年、新造船や21世紀生まれの船ばかりを見てきた目には、20世紀デビューの「さんふらわあ こばると」は、オールドファッションな雰囲気が濃厚に感じられる。
乗船口から案内所のあるエントランスへはエスカレーターではなく階段を使う。
船内のあちこちに段差がありバリアフリー化されていない。
エントランスには吹き抜けがなく、天井がすぐ真上に迫っている感じがする。
プロムナードの距離が短い。
誤解のないように言っておくが、それらをもってこの船を貶めているのではない。
かえって新鮮に映ったのである。

乗船者が思い思いの時間を過ごすプロムナード。

さんふらわあプチタオルから聞こえるカウントダウン

それは後部デッキでさらに顕著となる。
三層の、迷路のような不思議な空間。そこには多くの木製チェアが備え付けられている。
そして、他航路のさんふらわあでは見られなくなったツインファンネルも、老舗航路に就航する船の伝統と格式を漂わせているようにも見える。
20世紀から21世紀へと移り、平成から令和と元号が変わり、フェリーのトレンドも大きく様変わりした。
そのなかで、初代「さんふらわあ」が引退した時代の最新鋭フェリーの様子を知ることができる貴重な船。
引退後も、このままどこかで保存しておいてほしい。そんな無茶な思いも頭をよぎる。

後部デッキから2つのファンネル越しにトレードセンターを見る。

しかし、この船にも終わりが近づいていることを微かに感じた。
それは案内所横の売店においてだった。
さんふらわあプチタオルが670円で販売されている。

クルーデザインによる限定販売のプチタオル第5弾。
クルーデザインによる限定販売のプチタオル第5弾。

「さんふらわあ こばると」のクルーがデザインした、この船でしか手に入らないオリジナル商品で大人気だという。
各種50枚限定という希少さもあって、すでに第4弾までが完売。
第5弾に突入しているが、それもかなり残り少なくなっていた。
筆者も「こばると」の思い出に1枚買い求めた。
近い将来、別府航路に存在しなくなる船の面影を追い求めるために。
おそらく同じような思いで、この船にしかないプチタオルを買っていく人も多いのではないか。
「さようなら、こばると」グッズとは銘打っていなかったけれども、そこからは引退へのカウントダウンが聞こえてくるのだ。

大正・昭和への懐古と令和のニーズが同居

別府市街地の写真。立ち上る湯けむりが豊富な湯量を想像させる。
別府市街地の写真。立ち上る湯けむりが豊富な湯量を想像させる。

午後7時5分、「さんふらわあ こばると」は大阪を出港した。
しかし、船内はすでに別府にいるような空気にあふれている。
レストランでは「りゅうきゅう」や「とり天」など大分県の郷土料理がバイキングのテーブルに並ぶ。
階段の踊り場に掲示されている別府温泉のあちこちに立ち上る湯けむりの写真。
キッズコーナーの壁には、関西汽船の別府航路黄金時代をしのばせる写真の数々が展示。
また、大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師・吉田初三郎が1924年に描いた「大別府温泉観光鳥瞰図」の複製もラウンジの壁に掲示される。

吉田初三郎が描いた「大別府温泉観光鳥瞰図」(複製)。
吉田初三郎が描いた「大別府温泉観光鳥瞰図」(複製)。

大正・昭和の古き良き別府航路気分を漂わせる船内はどことなくレトロ調である。
そのいっぽうで、ゲームコーナーの機種はかなり新しいもので占められている。
現在のフェリーとしてはちょっと寸足らずに思われるプロムナードには、コンセントがいっぱい設置されている。
乗客は窓から阪神間の夜景を見るのではなく、それに背を向けるようにコンセントのある壁に向かい、パソコンやスマートフォンをつないで動画を見たり、仕事をしたりしていた。
懐古だけではなく、令和の乗客のニーズにも合ったサービスが同居している。

利用者の利便性を考えてコンセントが多数設けられていた。
利用者の利便性を考えてコンセントが多数設けられていた。

同じ歳月を共有した船と橋

午後8時15分。「さんふらわあ こばると」は明石海峡大橋をくぐる。
おおぜいの乗客が、その通過シーンを見るため撮影するためにトップデッキに出てきた。
明石海峡大橋の供用が開始されたのは1998年4月5日のこと。
そして「さんふらわあ こばると」が別府航路でデビューしたのは、そのわずか3日後の4月8日である。
ほぼ同じ長さの歳月を共にしてきた船と橋。
その共演の回数も、残り少ない。
同時に、この橋は初代「さんふらわあ」の姿を、わずかな日数ではあったが見届けているはずだ。
1998年4月に存在した、短いがゆえに貴重な日々。
それに思いを馳せながら、美しい橋のライトアップが見えなくなるまで眺めていた。

明石海峡大橋を通過(後方デッキから撮影)。
明石海峡大橋を通過(後方デッキから撮影)。

別府港に並ぶ新旧ターミナル

8月30日。船内放送で目が覚めた。
デッキの左舷側後方から朝日が昇る。
うっすらと見える陸地は、四国の西端に伸びる佐田岬半島だ。
まもなく船は別府湾に吸い込まれる。
階段の踊り場にある写真と同じく、幾筋もの湯けむりが別府の街並から立ち上っている。
そして感染拡大防止のためにしているマスク越しにも関わらず、硫黄の強烈でツンとしたニオイが鼻腔をくすぐる。
船は左手に高崎山、そして真正面に鶴見岳を望みつつ、ターミナルに近づいていく。

湯けむりが立ち上る別府市街。
湯けむりが立ち上る別府市街。
野生の猿で有名な高崎山も見える。
野生の猿で有名な高崎山も見える。

17年ぶりに見る懐かしいターミナル。当時とはほとんど何も変わっていないように思える。
しかし、明らかな違いを目にすることとなる。
そこから海岸沿いの北側に、新しいターミナルが建設されていたのだ。
建物にははっきりと「さんふらわあ」の文字が見えた。
その前を通り過ぎた「さんふらわあ こばると」は接岸態勢に入った。

新しいフェリーターミナルが建設中(写真右)。現フェリーターミナルは写真左。
新しいフェリーターミナルが建設中(写真右)。現フェリーターミナルは写真左。

後編へ続く・・・

後編はこちら→

大阪~別府を結ぶ「さんふらわあ」。
ベテランのフェリー「あいぼり/こばると」から、
日本初のLNG燃料フェリー「くれない/むらさき」へ。
関西~九州航路「さんふらわあ」はこちら
関西~九州航路「さんふらわあ」はこちら

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