もくじ

「『さんふらわあ』の船体に描かれた大きな太陽のように、お客さまにはいつも明るく笑顔で乗船してほしい。満面の笑みで穏やかな大洗の海を見つめながら、船旅を楽しむ人、ビジネスで利用する人、それぞれにとってよい思い出となるように快適な旅を過ごして欲しい」と話すのは、北へ向かう「さんふらわあ ふらの」の舵をとる柿沼城司船長。旧九州急行フェリーでの船長経験を経て、昨年より「ふらの」に乗船。新たな航路へと挑む柿沼船長に、日頃のお仕事の様子や船旅の魅力についてお話を伺いました。

ギター少年から大海原を駆ける船長へ
研鑽を重ねた船長への道のり

穏やかな表情を見せる大洗の海。双眼鏡を覗きながら「それでもうねりは強いんですよ」と朗らかに話します。

ブリッジ(船橋ー船全体の司令部)の中央に立ち、双眼鏡を覗く姿がなんとも凛々しい柿沼船長。そもそもなぜ船に携わる仕事を選んだのでしょうか。
「実はね、私は東京出身なので、周囲には海や船に関する仕事をしている人はいないんです。きっかけは、加山雄三さん主演の『エレキの若大将』という映画を観たこと。当時、ギター少年だった私は彼に憧れましてね。同シリーズの映画で船に乗っているのを観て、純粋に興味が湧いて船長になりたい!と思ったんです」

そう照れくさそうに話してくださいました。やがて夢を叶えるべく、国立鳥羽商船高等専門学校に進学。航海士となった柿沼さんは船上で切磋琢磨する日々を過ごし、今から10年前に船長としてデビューを果たしました。どこか懐かしむような表情を浮かべながら当時を振り返ります。

「さんふらわあ」が辿った航路を示すPCモニターをチェック。次の航海へと繋げるため、他船がどんな航路を進んだのかなどを必ず確認するのだとか。「最近ではアプリもあるんですよ。便利な世の中になりましたね」

「はじめは思うように船が動いてくれなくて、右往左往する日々でした。やっと納得できる操船ができるようになったなと感じたのは、船長になって5年目ぐらい。いくら何でも時間が掛かり過ぎだろうと言われたりもしましたが、こればっかりは難しい。航海士として十分経験は積み上げてきているものの、船長として操船するのは、より一層、責任感が伴う厳しい世界。研鑽を重ねて肌で覚えるまでには、やはり時間を要しましたね」

大洗や苫小牧はもちろん、それぞれ港ごとに合わせた入港方法や離着岸の仕方があるのだとか。各船長、独自の感覚で操船するという技術には目を見張るものがあります。

全長約200m、船幅27mという巨大なフェリーを、まるで自動車を運転しているかのように自在に操る柿沼船長。ブリッジの右側にある窓から目視で後方を確認し、岸壁を見ながら左手でスラスターと呼ばれるレバーを操作して離着岸させます。車と異なり、ブレーキのない船を操るには、その感覚を独自の方法で掴むしかありません。風や波といった外力の影響も計算しながら確実に操船をするには、鍛錬された技術、豊富な経験、熟練した腕が無ければ成し得ません。だからこそ、船長にしか許されない仕事なのです。

当直一覧表を確認する様子。柿沼さんをはじめとする船長は、24時間体制で勤務します。
必須アイテムは、船員はみんな携帯しているというミニトーチ。「100均のトーチなんですが、明け方など暗がりの船内を歩く際に程よい明るさなので重宝しています」

船旅のような楽しさと自然に挑む緊張感
命懸けで船と向き合う船上での日々

「通常、航海士や部員は4時間ごとにそれぞれ任されたワッチ(航海当直業務)を担当します。朝の4時から8時は一等航海士、8時から12時は三等航海士、12時から16時が二等航海士。船長の仕事は、まさに船の長ですから、港内における離着岸、船舶ふくそう海域(大小さまざまな船舶が激しく往来する海域)における操船指示など、船内における業務全般の統括、そして責任者として動きます」
さまざまな機器を扱いながら船の操作をするのは、主に離着岸時。時間にすれば、1日のうちわずか数分だといいます。乗船中は旅をしているようで楽しいものですが、夜間や悪天候時は視界が悪く、安全確保に緊張が強いられ、船長としての力量が試されるのだそうです。加えて、お客さまに極力揺れを感じさせないよう、また遅延が生じないように気象や海象状況を見ながら最適な航路を選定しているといいます。昨年の7月から「さんふらわあ」に乗船している柿沼船長。フェリーの長として航海をはじめたばかりですが、なかでもとても印象に残った航海があったそうです。
「先輩のキャプテンに付いて研修をしていた際、お客さまに急病人がでたことがあったんです。その方は持病をお持ちの方でお薬を持参して乗船されていたのですが、船の中でゆったりと特別な時間を過ごすうちに気持ちが高ぶり、お酒を飲まれて体調を崩されてしまいました。船内での衛生担当は三等航海士の役割なのですが、医療処置のできない私たちにはとても手に負える状況ではありませんでした」
緊急時に備えた心得はあっても、ここは海の上。緊張感が走る中、柿沼さんの指導役として乗船していた船長が動きます。

いかなる事態も迅速に対応ができるように、船上ならではのさまざまな配慮がされています。船長として、また航海士としての経験を熱く語ってくださいました。

「私の指導者である先輩キャプテンが船内放送で“お医者さまか医療関係者の方はいらっしゃいませんか?”と呼びかけたんです。すると、3名のお医者さまが乗船されていて、素早く対応してくださいました。緊急時は航路を変更して、一番近い港に立ち寄ることになっています。当時は、大洗港が一番近いこともあって、そのまま入港して事なきを得ました。これだけの大型フェリーですから、一人や二人具合の悪いお客さまがいても不思議ではありません。しかしながら、船上では限られた対応しかできないこともあることを、改めて学びました」

気づいていない本当の自分を映し出す鏡
すべてを受け入れてくれる海の魅力

1992年に航海士としてRORO船(旅客を乗せない貨物専用船)に乗船して以来、幾度もやってくる難しい局面を乗り越えてきた柿沼船長。二等機関士だった親友を大きな事故で亡くされるなど悲しい経験もありました。お客さまの有無に関わらず、自然を相手に仕事をしている以上、常に命懸けだといいます。それでもこの仕事を続けようと思わせる、海の魅力とはどんなものなのでしょうか。

海は、私たち人間には想像もできないほどの凄さ、そして魅力で溢れています。自然と向き合う仕事だからこそ、無事に航海を終えられるように最善を尽くしています。

「海には本当に計り知れない力がありますね。強いていえば、自分自身のすべてを映し出してくれるのが海の魅力なのではないでしょうか。晴れやかな気持ちで海を見つめれば、それが現在の自分の姿であり、本来の魅力なのではないかと思っています」
船旅の醍醐味は、大海原を通じて大自然を感じることができること。「日頃の憂さをすべて海へ解き放つように、時間の許す限り、朝日や夕暮れの景色を堪能しつつ、ぼーっと水平線を眺めながらゆったりとした時間を過ごして欲しい」と話します。そんな柿沼さんが、「さんふらわあ」船内でもっともお気に入りだという場所がありました。

船長のジャケットを羽織って記念撮影ができるイベントスペースを、ブリッジのモニターから嬉しそうに紹介。未来の船長候補に想いを馳せます。

未来の船長や航海士へ託す
大海原と向き合う醍醐味と感謝の想い

「お気に入りの場所は、船長の帽子とジャケットを着て写真撮影をすることができるイベントスペースです。先日、この時期に必ず乗船してくださるご家族連れのお客さまがお嬢さまを連れて乗船されましてね。船内を見学されていったのですが、近ごろは女性も船の世界に進出していますので、ぜひこのイベントスペースで船長気分を味わって、未来の航海士、船長を夢見てくれたら光栄です」

海を、そして「さんふらわあ」をこよなく愛する柿沼船長。まるで太陽のように明るい笑顔で今日も北航路を航海中。

終始穏やかな口調で笑顔の絶えない柿沼さん。船の長として無事に航海をするという責任感と緊張感に満ちた日常でありながらも、「さんふらわあ」の航路や立ち寄る港の特徴などを話す表情には一点の曇りもありません。大自然と向き合う仕事だからこそ、その計り知れない力と美しさに感謝をし、大好きな海で皆が幸せな船旅ができるように万全の準備と最大限の注意を払って、今日も航海を続けています。

「時間が許せば、大洗港近隣では磯前神社、苫小牧港では樽前山神社にご挨拶に伺っています。どちらも先輩である船長に連れて行っていただきました。自然と向き合う仕事ですからね。難を逃れて安全に航海できることに、日々感謝しています」
照れくさそうに語る柿沼船長の背中を、雲間から現れた美しい陽の光照らす姿がなんとも印象的でした。

多くのお客さまと船員を乗せた船の全責任を負う船長。↓の動画では、船長業務に向き合うときの厳しい姿勢をご覧いただけます。まるで映画のような着岸シーンは一見の価値あり!

お客さまに癒しと感動のひと時を。
船員一同心を込めた船旅をご提供します。
首都圏~北海道航路「さんふらわあ」はこちら
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