今昔ものがたりVol.7アイキャッチ

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2011(平成23)年10月8日、午前10時。「さんふらわあ あいぼり」が別府観光港から船出した。目的地は大阪。12時間後の同日午後10時に、大阪南港に到着する。昼に来島海峡大橋、夕方に瀬戸大橋、そして夜は明石海峡大橋をくぐる特別ダイヤだ。この日限りとはいえ、1975(昭和50)年に阪神~別府航路で昼便が廃止されて以来、36年ぶりに昼の瀬戸内海を行く航路が復活した瞬間であった。それは別府航路の在りし日の栄光がフラッシュバックする船旅でもある。

別府航路にさんふらわあ登場

別府航路にさんふらわあ登場1
別府航路に投入された「さんふらわあ2」栄光の別府航路にふさわしい「豪華客船」時代の「さんふらわあ」だ

別府航路を運航してきた関西汽船の経営が傾き、その筆頭株主となった来島どっく。1980年代前半は、再建のため矢継ぎ早に改革を推し進めていた。そのひとつが1984(昭和59)年12月、別府航路への「さんふらわあ」「さんふらわあ2」の投入である。いずれも1970年代に一世を風靡した、当時でいうならば「豪華客船」であった。

当時の来島どっくは、かつて「さんふらわあ」を保有していた日本高速フェリーも傘下としており、保有する「さんふらわあ」「さんふらわあ2」を別府航路再建の期待を込めて就航させた。

これは別府航路と「さんふらわあ」が初めてリンクした出来事でもあった。乗客減少に悩むかつての花形航路と、輝かしい栄光の過去を持つ客船の就航。夢よ、もう一度。そんな願いが込められたコラボだったのかもしれない。だが、来島どっくそのものに経営危機が訪れた。1987(昭和62)年3月、来島どっくは関西汽船の経営からの撤退を表明するにいたる。

客船から完全フェリー化へ

客船から完全フェリー化へ1
別府港に停泊中の「さんふらわあ2」

経営難に陥った来島どっくに救済の手を差し伸べたのは、大阪商船三井船舶(現在の商船三井)だった。1990(平成2)年7月、大阪商船三井船舶は来島どっくの傘下にあった関西汽船・ダイヤモンドフェリー・室戸汽船の3社を自社の傘下に収めた。こうして別府航路の「さんふらわあ」化とフェリー化は急速に進んでいく。

1992(平成4)年8月、別府航路に「さんふらわあ こがね」、同年12月には姉妹船の「さんふらわあ にしき」が就航した。これにより、1日3便の別府航路はすべてフェリー化された。

また、1997(平成9)年には同航路に「さんふらわあ あいぼり」、翌年に「さんふらわあ こばると」が就航。いずれも現在も活躍する「さんふらわあ」だ。それにともない「さんふらわあ」と「さんふらわあ2」が相次いで引退した。これは「客船の別府航路」の終焉を象徴する出来事であり、同時に「さんふらわあフェリーの別府航路」へと時代は移ったことを明確に示していた。

大阪・弁天ふ頭の廃止

失われつつある別府航路の客船時代の面影。それは船に限ったことではない。1995(平成7)年2月、阪神~松山~別府航路は1日3便体制から2便に減便となった。
そして阪神~小豆島~高松~今治~別府航路が廃止される。この航路の廃止、それは黄金時代真っただ中の1965(昭和40)年から、別府航路の大阪側ターミナルとして使われていた弁天ふ頭を発着する定期航路の消滅を意味していた。

筆者は一度だけ、弁天ふ頭ターミナルに行ったことがある。厳密にいえば、その時はもうターミナルの機能は果たしておらず、関西汽船の事務所として存在していた。2005(平成17)年だから、定期航路がなくなってからちょうど10年後のことだ。

平成もすでに15年以上経過していたのに、かつてのターミナルの建物が昭和の香りを濃厚に漂わせていたのが印象的だった。よく言えばレトロ感覚、悪く言えば、時が止まってしまったかのような古ぼけた雰囲気であった。この旧弁天ふ頭ターミナル、2017(平成29)年に解体された。関西汽船と別府航路の栄光を物語る痕跡が一つ、消えた。

消えた神戸寄港

栄光の名残は神戸でも消えゆく運命にあった。2003(平成15)年4月1日、関西汽船はダイヤモンドフェリーと大分~松山~神戸間の一部共同運航を開始する。これにより、関西汽船の阪神~松山~別府航路の神戸発着は、下り便こそ以前からの中突堤のままだったが、上り便は六甲アイランドフェリーターミナルとなった。

実は別府航路では大阪~神戸間のみの乗船も可能だった。そして関西のフェリー愛好家の間で、大阪→神戸航路はひそかな人気航路であった。大阪の夜景を眺めつつ出港し、大阪湾と六甲の山並みに沿って展開するミルキーウェイのように輝く街並を見ながら洋上で過ごす。そして夜の中突堤に着岸する神戸の光景は見事の一言に尽きる。ポートタワーや、モザイクなどハーバーランドのライトアップのなか入港するため、神戸港ナイトクルーズも満喫できた。

それも2005年9月15日から味わえなくなる。下り便の神戸発着は神戸ポートターミナルに移転となり、別府航路の伝統でもあった中突堤発着の歴史に終止符が打たれた。さらに2008(平成20)年1月16日、別府港を発着する「さんふらわあ」は大阪直行便のみとなり、ついに別府航路から大阪~神戸航路も消えた。ちなみに同年7月8日、大阪の発着も南港フェリーターミナルから現在のさんふらわあターミナル(大阪)に変更されている。

よみがえる昼の瀬戸内航路

よみがえる昼の瀬戸内航路1

2009(平成21)年10月23日、「フェリーさんふらわあ」が設立された。これは商船三井が完全子会社のダイヤモンドフェリー(神戸~大分)と関西汽船の将来の統合を見すえて設立したものである。

そして、2011(平成23)年10月1日。かつては瀬戸内海でしのぎを削ったライバル同士の関西汽船とダイヤモンドフェリーは、フェリーさんふらわあに合併した。戦前から瀬戸内海航路の老舗として常にフロントランナーであり続け、別府航路の黄金時代を出現させた関西汽船は、約70年の歴史に幕を閉じた。

その1週間後…。
冒頭で登場した「よみがえる昼の瀬戸内航路」と銘打った特別航海が別府→大阪で実施された。船内には大正末期から昭和初期にかけての大阪商船時代に制作された「紅丸」や「紫丸」などの美しいレトロポスターがディスプレイされた。満船となった船内ではさまざまな催し物も行われ、別府航路の黄金時代をほうふつとさせる活況が再現されていた。
大好評だった「よみがえる昼の瀬戸内航路」は、「昼の瀬戸内感動クルーズ」と名を変えて毎年行われるようになる。

翌2012(平成24)年5月28日、阪神~別府航路は開設100年を迎えた。いま、別府航路100年の栄光を追体験するなら、毎年春と秋に各2回実施されている「昼の瀬戸内感動クルーズ」(神戸⇔大分)がタイムマシンの役割を果たしてくれる。

瀬戸内感動クルーズで
歴史に思いを馳せながら優雅な船旅を。
関西~九州航路「さんふらわあ」はこちら
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