もくじ

東日本フェリー(リベラ)は、大阪~釜山間に週3便「パンスター・ドリーム」を運航しているサンスターラインという韓国の船会社に「さんふらわあ みと」を貸し出すと発表した。 2007年1月末のことである。

サンスターラインは、韓国向け貨物需要増と韓国人観光客の増加で、増便を検討していた。
そこへ採算性の問題から日本海航路を縮小、あるいは廃止したかった東日本フェリー(リベラ)と思惑が一致。

こうして4月、「さんふらわあ  みと」は「パンスター・サニー」という大阪と釜山を往復する日韓定期フェリーへと生まれ変わった。姉妹船の「さんふらわあ つくば」はギリシャへ売船となった。こうして、日本海の「白い船」航路復活の可能性は消えた。

「さんふらわあ みと」と大阪で再会

同年の4月下旬。筆者は大阪港を眺めていた。その視線は、一点に集中した。「パンスター・サニー」がゆっくりと進んでいる。船体の赤いひまわりは当然なくなっており、かわりに「PanStar Cruise Ferry」という英文が描かれていた。

乗船時に出迎える船員もアテンダントクルーも韓国人。船内にはハングル文字があふれ、韓国の衛星放送がビジョンに映し出される。インフォメーションカウンターやその周辺はにぎやかな韓国語であふれている。照明の使い方や華やかなデコレーションもあって、雰囲気は「みと」時代よりも数段明るい。ただ、施設などレイアウトそのものは「みと」とまったく変わっていないため、初めての船に乗った!という感覚はない。

まずは自分のベッドへ。利用するのはスタンダードルーム。1部屋に4ベッドは「みと」時代のまま。カーテンの色がカラフルになった。

ベッドに荷物を下ろし、足を運んだのは「さんふらわあ  みと」時代の最上階くつろぎスペース。のんびり海を眺めることができて、とても大好きな空間だったが、まさかここが免税店とコンビニ(GS25)になるとは。商品の価格はすべてウォン表示。カップ麺が飛ぶように売れていた。

日韓航路から中台航路へ

18時、定刻の2時間遅れで「パンスター・サニー」は黄昏迫る大阪港を離れた。僚友とはいえ、違う航路で出会うことのなかった別府行きの「さんふらわあ」(当時は関西汽船に所属)に見送られるのも何かの縁だろうか。そして韓国人が大半を占めるこの船の乗客で、パンスター・サニーも、ついこの間まで、船体にひまわりが描かれていたことを知る者は皆無に等しいだろう。夕食の時間になったので、レストランへと向かう。

レストランの名前は「ハスカップ」。ハスカップは北海道名産の果実で、「みと」のころと同じ名前だ。船内に飾られている絵も「みと」時代のものをそのまま使用している。

「みと」晩年には自動販売機の冷凍食品を食べるだけのスペースだった船尾のレストランは、すっかり豪華レストランへと生まれ変わり、エンターテイナーとして乗船しているウクライナ人女性2名によるサックス演奏がディナータイムに彩りを添えている。フィリピン人ウェイターに「プルコギ定食」を注文。明石海峡大橋の通過シーンを眺めつつ、それをいただく。

20時を過ぎるとレストランはイベント会場に早変わり。韓国人アテンダントクルーが歌い始めたのを皮切りに、舞台には韓国人乗客数組が登場し、これまた韓国語の歌を披露する。
登場する人たちや観客のノリが、すごい。顔立ちは日本人に似ているけれど、日本人だったら恥ずかしがるところを、彼らはまるでラテン系のように歌って踊る。言葉は通じなくても見ているだけでも充分楽しい。

デッキに出ると、窓の外には高松市の夜景が広がっていた。船内はまるで韓国。でも、まだ四国沖なのである。船が瀬戸大橋をくぐるのを見届け、ベッドにもぐりこんだ。

翌日、釜山に着いたのは13時過ぎだった。定刻の3時間遅れ。でも、いいのだ。「さんふらわあ  みと」が、「パンスター・サニー」という第二の船生を、多くのにぎやかな乗客とともに、どうやら楽しく過ごしていることが確認できただけでも、この旅の目的は達成されたに等しいから。

「パンスター・サニー」が大阪~釜山航路で活躍したのは実質2年間だけだった。2009年からは中国の中国遠洋運輸集団「中遠之星」(COSCO STAR)として中国本土と台湾間を結ぶ航路に就航し、現在にいたっている。

「海猿」出演、そしてエーゲ海へ

「れいんぼうべる」は「フェリーひむか」となり、映画『LIMIT OF LOVE 海猿』の中で「くろーばー号」として登場している(写真提供:船が好きなんです.com)

白い船、つまり「れいんぼう」姉妹はいま、どうしているのだろうか。「れいんぼうべる」は2004年3月にマリンエキスプレスに売却され、「フェリーひむか」と改名。その後、宮崎カーフェリーに移籍し、大阪府・貝塚~宮崎県・日向~宮崎航路に就航する。しかし2006年4月に航路は廃止。実働は2年にも満たなかった。

その短い「フェリーひむか」時代、映画『LIMIT OF LOVE 海猿』の撮影に使用された。座礁船という設定ではあったが、『白い船』といい、れいんぼう姉妹はつくづく映画に縁のある船であった。

2006年12月、かつての「れいんぼうべる」は日本を離れた。ギリシャのヘレニック・シーウェイズに売却され、「アリアドネ」と改名。現在はエーゲ海など地中海に活躍の場を移している。

「れいんぼうらぶ」と異国で遭遇

2004年の秋、筆者は韓国・仁川港にいた。中国の青島行きフェリー乗船のためだ。ターミナル内はかなりの人だかりである。男女の若者が多いが、これは50人ほどの韓国人大学生のグループツアー。リーダーと思しき男子学生がメンバー全員をまるで修学旅行のように並ばせて、ひとりひとりパスポートを投げて返却していた。学生のほかに、アジョシ・アジュマ(おじさんおばさん)ツアーもいて、みんな胸にバッヂをつけている。

そんな観光客とは別に、おそらく担ぎ屋であろう、ターミナルの外ですさまじい数量の荷物を汗かきつつ梱包していた。後ろのイスに座っていた、中国パスポートを持つおじさんは韓国語を話している。担ぎ屋たちやこのおじさんは中国に暮らす朝鮮族だ。

乗船するのは青島行き「ニュー・ゴールデン・ブリッジV」(NGBV)。NGBVの姿を見た筆者を、既視感が襲う。この3日前、博多から釜山に向けて国際フェリーに乗った。博多出港のときに、停泊中の「ニューれいんぼうべる」(現・さんふらわあ しれとこ)を見た。それにそっくりではないか。

それもそのはず、韓中合弁のフェリー船社・威東航運(ウェイドン・フェリー)が2003年11月、長崎港に係留中だった「れいんぼうらぶ」を九越フェリーから購入し、この2月に仁川~青島航路にNGBVとして投入したばかりだからだ。

一晩を過ごす302号室は定員50人。2段ベッドが連なる洋式タイプだった。船首ブリッジ下にある展望コーナーは「グロリア」というバーになっていた。メニューは、当然のことながらハングル文字と中国語表記である。「れいんぼうらぶ」のサンガーデンだった壁にはヤシの木と青い海が描かれ、トロピカルムードがかなり濃厚になっていた。

ターミナルで見かけた韓国人の大学生グループがどやどや乗り込んできた。女の子たちはあたりをデジカメで撮影したりケータイで長電話したりと大はしゃぎだ。17時30分、仁川を出港。女子学生たちはクラッカーを打ち鳴らして、海外への船出を祝っていた。

あたりがすっかり暗くなったころ、レストランでハンバーグステーキ定食をいただく。7000ウォンだった。ちなみに船内の通貨は韓国ウォン。自動販売機もすべてウォン建て表示となっている。

黄海を結ぶ懸け橋となった「白い船」

夜になるとNGBVは狂気の坩堝と化した。韓国人大学生グループは男も女もパイを投げつけられたかのように顔を真っ白にしたままで、船内を走り回る。日本でもよく修学旅行で枕投げなんかして先生に怒られるが、パイ投げ合戦は聞いたことがない。おまけにこのグループを引率しているのも大学生。歯止めをかけるものは誰もいない。トイレは真っ白になった顔を洗う学生たちでたちまちあふれた。

学生たちにあてがわれた大部屋からは「エンコー(アンコール)!エンコー!」との連呼が響く。歌合戦でも始めたのだろうか?デッキでも男女混じって唄ったり踊ったりしていた。

アジョシ・アジュマ集団も学生に負けていない。カラオケがオープンした途端に占拠し、演歌をうなる。マージャンルームでは真剣な表情でパイを見つめ、「ロン!」と大声で叫ぶ。「れいんぼうらぶ」時代には静かだったこの船も、コリアンパワーあふれる船へと大きく様変わりしていた。

翌朝、昇る朝日を眺めているところへ、ひとりの韓国人の若い男性がやってきた。彼は昨晩、乱痴気騒ぎを演じた大学生グループとはまったく関係のない青年である。話す英語も非常に流暢で、とても知的な彼は、実は中国の血も少し混じっているのだという。「もうすぐ自分のルーツの国を訪ねることができるので、少し興奮しているんです」という彼は、しばらく中国で語学留学をする。

NGBVは中国にせまっていた。我々は船上から、百年前のドイツ租借地の名残である欧風建築物が並ぶ青島市街を見つめた。

船名も客層もすっかり変わったが、「れいんぼうらぶ」はいまなお異郷で「国境を越え言葉を越えて人の心を強く結びつける愛の架け橋」であり続けている。

いまも続く「白い船」と「さんふらわあ」のストーリー

映画『白い船』の舞台となった塩津小学校(写真提供:萱野雄一)

「れいんぼうべる・らぶ」、「ニューれいんぼうべる・らぶ」、「さんふらわあ みと・つくば」、そして「さんふらわあ えりも・おおあらい」。「白い船」と「さんふらわあ」が描いてきた航跡は不思議と交差する。

日本海の「白い船」から太平洋の「深夜便」へと転進した「さんふらわあ しれとこ」(写真提供:船が好きなんです.com)

そして、かつて「白い船」として日本海を渡っていた「ニューれいんぼうべる・らぶ」は、「さんふらわあ しれとこ・だいせつ」として大洗―苫小牧航路の深夜便で活躍している。そのストーリーはいまも続いているのだ。

写真協力:萱野雄一(株式会社カヤノ写真機店)、船が好きなんです.com

歴史を知ると
「さんふらわあ」にもっと乗りたくなる。
首都圏~北海道航路「さんふらわあ」はこちら
首都圏~北海道航路「さんふらわあ」はこちら

関連記事RELATED