今昔ものがたりVol3アイキャッチ

もくじ

首都圏と北海道をつなぐフェリーといえば、大洗(茨城県)発着の「さんふらわあ」。北を目指す旅人にはなくてはならない存在だ。ところで、東京からも北海道行き「さんふらわあ」が発着していたことをご存じだろうか?

トラックドライバー不足が生んだ「日本沿海フェリー」

東京オリンピックが閉幕し、その熱気も冷めた1965年の秋。当時日本の物流は、モータリゼーションの進展とトラック貨物輸送の急増により、大都市周辺部での慢性的な交通渋滞や、また一方でトラックドライバー不足と人件費の高騰に悩まされていた。

「ドライバーなしで、貨物を積んだトラックを目的地に運べないものか』と様々な議論がなされるなか、『いっそ、海上に目を向けたらどうか』という流れが生まれた。海上ルート―トレーラーシップ、カーフェリーの構想である。当時の大手商社「東食」、食品輸送に携わる「食品輸送(株)(現・エスワイプロモーション)」が構想したこのフェリー事業に、「東京汽船」、「三井近海汽船」が賛同し、荷動きの調査、航路の選定、カーフェリー船型の検討等がすすめられた。

そして4年後の1969年8月18日、「日本沿海フェリー」が「東食」、「食品輸送(株)」、「三井近海汽船」、「東京汽船」の4社によって東京日本橋に設立された。翌1970年2月、東京・苫小牧の航路免許を取得し、大型カーフェリー2隻の建造を決定。1971年9月には、「大阪商船三井船舶」が新たに株主として参加する。

念願の東京~苫小牧航路がスタート

1972年4月、念願だった東京~苫小牧航路が開設された。鉄道のように乗り換えがなく、当時の航空機のように高い運賃でもなく、貨物輸送にも十分対応できる貨客両面重視の「しれとこ丸」と「えりも丸」を新造し就航させた。

念願の東京~苫小牧航路がスタート1
「しれとこ丸」

その2年後にはさらに新造船「さっぽろ丸」が船隊に加わり、デイリー化された航路は充実を深める。「しれとこ丸」と「えりも丸」は同型姉妹船で総トン数はいずれも7,875トン。「さっぽろ丸」はそれらよりも大きく11,067トンであった。

東京~苫小牧間は30時間かかったが、船にはダンスホール&ドリンキングコーナーが設けられ、船客が退屈しないような配慮も行われていた。また、レストランのほかにグリル(特別食堂)もあり、クラシカルな船ながらも北への優雅な船旅の一面もあわせ持っていた。

大きな房総半島と手狭な東京湾

1985年3月、日本沿海フェリーの大洗~苫小牧航路の運航が新たに始まった。大洗航路新設の背景には房総半島の存在があった。

北海道から海路、東京に向かうにはどうしても房総半島を迂回しなければならない。その分、運航所要時間は長くなり、物流面のデメリットとなっていた。その迂回航路を陸送化することで、できるだけ首都圏への速達性を高めるのが大洗航路のねらいであった。

また、北海道だけではなく、四国や九州航路などがひしめき合う東京港は、航路開設当初から手狭であり、関係者の頭痛の種であった。そんな東京港に比べ、大洗港は貨物車スペースも広く確保でき、メリットが大きかったのである。

北海道航路と「さんふらわあブランド」の出会い

日本沿海フェリーが東京~苫小牧航路を開設した1972年は、一世を風靡した「さんふらわあ」デビューの年でもあった。奇しくも同じ年に産声を上げた両者が、一つになる時がやってきた。

「さんふらわあ」を擁した「日本高速フェリー」。その事実上の親会社「来島どっく」の経営難から、東京~那智勝浦~高知の航路が日本沿海フェリーに移り、1990年1月1日から同航路での運航が始まった。同年8月31日には大阪~志布志~鹿児島航路での運航も日本沿海フェリーに移譲されることが決まる。

そして同年11月1日、日本沿海フェリーは社名を「ブルーハイウェイライン」に変更する。この瞬間、「さんふらわあブランド」はブルーハイウェイライン、つまり「商船三井グループ」に受け継がれることとなった。

新たに船隊に加わった「さんふらわあ5」「さんふらわあ8」「さんふらわあ11」の華やかなイメージにあやかり、赤い太陽マークを従来の自社船にもペイント。船名も「さんふらわあ+地名のひらがな表記」に統一された。当時、東京~苫小牧航路に就航していた「さっぽろ丸」は「さんふらわあ さっぽろ」(初代)、「おおあらい丸」は「さんふらわあ おおあらい」、「えりも丸」(2代目)は「さんふらわあ えりも」へとそれぞれ改名した。

北海道航路と「さんふらわあブランド」の出会い1
「さんふらわあ えりも」

東京からの撤退、ブルーハイウェイラインから商船三井フェリーへ

「さんふらわあ」3姉妹の航路を継承したブルーハイウェイライン。それが存在したのは11年間に過ぎない。しかしその後半は、北から南まで広がった航路再編など大きな変革が進められた時代だった。

まず1997年9月、東京~苫小牧航路が大洗経由の「新東京航路」へと変更された。さらに常磐道の整備を受け、1999年4月に東京~大洗の旅客運送を取りやめた。こうして首都圏における北海道航路の旅客窓口は大洗に集約されることとなった。

2000年4月に大阪~志布志航路が分社化されたブルーハイウェイ西日本に引き継がれた。そして2001年10月1日、東京〜那智勝浦〜高知航路が廃止され、ブルーハイウェイラインは解散。ブルーハイウェイラインの解散は、東京から旅客を乗せる「さんふらわあ」が姿を消すことをも意味していたのだ。

同時にこの年、北海道航路に専業化した商船三井フェリーが誕生。「北のさんふらわあ」ブランドを今に引き継いでいる。

東京航路の名残は「パシフィック・ストーリー」に

東京航路がなくなって20年近く。その芳香をかすかに漂わせる旅がある。

商船三井フェリーが販売する「パシフィック・ストーリー」だ。これは東京駅と札幌駅の間を「さんふらわあ」と高速バスを乗り継いで行く連絡きっぷの名称である。

私は何度か、この連絡きっぷを利用して札幌や富良野に行ったことがある。新千歳空港から発着するLCC(格安航空会社)に比べると時間ははるかにかかるのに、なぜ?と尋ねられることがある。

答えは簡単。太平洋から昇る朝日を拝み、近づいてくる樽前山に北海道への期待を膨らませるなど、空路では味わい難い旅情を深く、たっぷり感じられるからだ。

 

そしてもうひとつ。

やはり旅の始まりは日本橋から、ではないが東京から始めたい。パシフィック・ストーリーは、消えてしまった「東京から北へ向かうさんふらわあの旅」の名残を、そして北海道航路のヒストリーを、自分の足でたどる物語をいまだ紡ぐことができるからだ。

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