今昔ものがたりvol4アイキャッチ

もくじ

苫小牧と室蘭。商船三井フェリーと東日本フェリー。さんふらわあ北海道航路は2つの港と2つのフェリー船社が複雑に絡み合った歴史の上に、成り立っている。それは一方の航路と船社が消滅し、1隻のさんふらわあが日韓航路に転ずるなど波乱に満ちた物語だ。

苫蘭戦争

1985年3月17日。茨城県の筑波研究学園都市で国際技術科学博覧会が開幕した。「つくば科学万博」の呼び名で記憶にとどめている人が多いかもしれない。実はこの前日、同じ茨城県の大洗では北海道の苫小牧、そして室蘭を結ぶ2本のフェリー航路が同時に開設されている。

このV字を形成する2つの航路が誕生するまでには、紆余曲折があった。房総半島を大きく迂回する従来の東京航路よりも、大洗から首都圏までを陸送化するほうが物流面の効率が良く、北海道~大洗航路の開設は各方面から要望が高まっていた。

大洗航路をめぐって争奪戦を繰り広げたのが、苫小牧と室蘭という道央の2大港湾都市だった。この激しい競争は、ついには「苫蘭(止まらん)戦争」と報道されるほど過熱していた。

多くの船社が競合する中、行司役の運輸省(当時)は供給過剰となることを心配して現有部隊からの転用を優先したい意向があったとされる。そんな思惑から生み出されたのが苫小牧~大洗と室蘭~大洗という2社による2航路体制だった。苫小牧航路は日本沿海フェリー(商船三井フェリーの前身)、そして室蘭航路は東日本フェリーが開設することとなる。

苫小牧航路への一本化と夕方便の登場

東日本フェリーは1965年、函館~大間(青森県)航路からスタートした。その後、室蘭港・苫小牧港・八戸港・仙台港・直江津港など北海道~本州間のフェリー航路を拡大していった。そして飛ぶ鳥を落とす勢いに乗じ、大洗航路を開設したのである。

さらに、1991年には長崎県のハヤシマリンカンパニーとの合弁で九越フェリー(直江津~博多)を設立。1998年秋に東日本フェリーの室蘭~直江津航路が九越フェリー航路に乗り入れ、室蘭~直江津~博多という日本海縦断航路を週3便で開始した。

苫小牧航路への一本化と夕方便の登場1
朝便の消滅とともに引退した「さんふらわあ えりも」

だが、このころ東日本フェリーにはすでに陰りが見えていた。経営難から次々と同社の航路は休止となっていたのだ。

そして2002年6月3日、東日本フェリーはライバルである商船三井フェリーとの共同運航航路として苫小牧~大洗航路の開設に踏み切った。東日本フェリーの「ばるな」は商船三井フェリーへ用船され、商船三井フェリー75%/東日本フェリー25%の運航分担となった。「ばるな」は2005年1月、「さんふらわあ さっぽろ」(2代目)と改称される。

これで室蘭~大洗航路は休止となったが、もう一つ消滅したものがあった。それは商船三井フェリーの朝便である。朝便に就航していた「さんふらわあ おおあらい」「さんふらわあ えりも」は引退となり、朝便の代わりに現在も続く夕方便が登場した。

東日本フェリーの大洗航路からの撤退

2003年、経営破綻した東日本フェリーは会社更生法適用を申請し、倒産した。
スポンサーとなったリベラ㈱(広島県)は、2005年に東日本フェリーと九越フェリーなどのグループ会社を吸収合併し、2006年3月には室蘭~八戸航路を休止した。同年10月に新たに東日本フェリー(株)を設立し、いわば2代目・東日本フェリーの時代が始まると、12月には苫小牧~八戸航路の同社運航便を川崎近海汽船(シルバーフェリー)に移管して運航から撤退、同年末には室蘭~直江津~博多航路を休止するなど、航路の集約化を図った。

そして2006年の大みそか、苫小牧~大洗航路の休止を発表。翌年1月2日に同航路の運航を商船三井フェリーへ移管し、苫小牧港・大洗港から撤退したのである。こうして苫小牧~大洗航路は商船三井フェリーの単独運航となった。同時に東日本フェリーの「へすていあ」は商船三井フェリーに移管され、「さんふらわあ ふらの」(初代)と改名された。

2対2のトレードと海外へ渡った「さんふらわあ」

同じ2007年1月、苫小牧~大洗航路の深夜便に就航していた「さんふらわあ みと」「さんふらわあ つくば」と、東日本フェリーの室蘭~直江津~博多航路に就航していた「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」の2対2の交換も行われた。

2対2のトレードと海外へ渡った「さんふらわあ」1
東日本フェリーとのトレードで「さんふらわあ」の仲間入りをした「さんふらわあ しれとこ」。現在も深夜便で活躍中だ
(写真提供:船が好きなんです.com)

 
「ニューれいんぼうべる」は「さんふらわあ しれとこ」、「ニューれいんぼうらぶ」は「さんふらわあ だいせつ」に改称され、深夜便に就航することとなる。こうして旧東日本フェリーの船舶はすべて「さんふらわあ」ブランドへと統一された。

いっぽう、東日本フェリーに移籍した「さんふらわあ」2隻は数奇な運命をたどる。
当初は「ニューれいんぼう」姉妹が就航していた室蘭~直江津~博多航路でデビューの予定だったという。しかし、日本海縦断航路は再開されず、「さんふらわあ つくば」は売船され、2007年4月に「フェリーつくば」と改称されたのち、同年7月にはギリシャに売却となった。

2対2のトレードと海外へ渡った「さんふらわあ」2
苫小牧―大洗の深夜便で活躍した「さんふらわあ みと」は「中遠之星」と名前を変えて中国と台湾を結ぶ航路で活躍している

「さんふらわあ みと」も売船され、韓国のパンスターライン「パンスター・サニー」として4月から大阪と釜山を往復する日韓定期フェリーへと生まれ変わった。しかしそれも長続きせず、2009年からは「中遠之星」(COSCO STAR)として、中国と台湾を結ぶ航路へ活躍の場を移している。

深夜便に残る東日本フェリーの面影

東日本フェリーは2008年12月1日、最後まで残った函館~青森、函館~大間、そして室蘭~青森航路を廃止した。1990年代には青森、大間、大畑、八戸(以上青森県)、大洗、直江津の航路があった室蘭からフェリー航路が消滅した。そして東日本フェリーも2009年に道南自動車フェリー(津軽海峡フェリーの前身)に吸収合併され、その45年の歴史に幕を閉じたのである。

深夜便に残る東日本フェリーの面影1
苫小牧港に停泊中の新造船「さんふらわあ さっぽろ」。

時は流れて2017年。商船三井フェリーから新造船「さんふらわあ ふらの」(2代目)と「さんふらわあ さっぽろ」(3代目)がデビューした。これは東日本フェリーの血筋を引く船が夕方便からすべて退場したことも意味していた。

いま、大洗航路で東日本フェリーの名残を探すなら、深夜便の2隻に乗るといい。私は東日本フェリーの日本海縦断航路に数回乗っている。なぜかいずれも船は「ニューれいんぼうべる」だった。天井の高いカプセル風ベッド、船首にある展望ラウンジ、24時間オープンのホール(自動販売機コーナー)・・・。名前は「さんふらわあ しれとこ」になったが、いずれも「ニューれいんぼうべる」の面影を存分に残している。

最後に、四半世紀にわたる苫蘭戦争に敗れた室蘭のその後にも触れておきたい。今年6月22日夕方、宮古(岩手県)を出港した川崎近海汽船の「シルバークイーン」が室蘭に姿を現した。それは室蘭にフェリー定期航路が10年ぶりに復活した瞬間であった。

写真協力:船が好きなんです.com≫https://funegasuki.exblog.jp/

歴史を知ると
「さんふらわあ」にもっと乗りたくなる。
首都圏~北海道航路「さんふらわあ」はこちら
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