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KURAHASHI
KAE

一つ一つ「できること」を拡げていく、
それがたまらなく楽しい

商船三井には、車いすラグビーの選手として活躍中のメンバーが在籍しています。
倉橋香衣。人事部キャリア・ウェルネス推進チーム所属。
アスリートとして、また会社員として挑戦を続ける彼女のこれまでの軌跡と現在
の姿、今後に向けた思いをご紹介します。

PROFILE
倉橋 香衣
くらはし かえ
1990年生まれ、兵庫県出身。
車いすラグビー日本代表選手。大学生のときにトランポリンの事故で頸髄を負傷し、リハビリを経て車いすラグビーに出会う。2016年、株式会社商船三井に入社。2017年に車いすラグビー日本代表に唯一の女子選手として選出され、2018年の世界選手権優勝、2021年東京パラリンピックの銅メダル獲得に貢献。

真っ先に浮かんだ
「生きていてよかった」

小さい頃から、スポーツは好きでしたね。落ち着きなく活発に動き回る子どもだったので、親が見かねて運動をやらせてみようと思ったみたいで。疲れておとなしくなるんじゃないか、早く寝てくれるんじゃないかという期待もあったのかもしれません(笑)
いろいろなスポーツを経験してみて、いちばん楽しいと思ったのが体操でした。小学1年生から習い始めて、そのまま中学、高校卒業まで続けていました。体操の何が面白いって、いくつもの技があって、練習を重ねていくと、ある日それができるようになるところ。ひとつマスターしたら、次へ、また次へと、だんだんできる技が増えていくんです。それが楽しくて。

大学に進学してトランポリンに転向したんですが、やはり「技を覚えていく」面白さは共通していましたね。ただ、3年生のときに出場した大会で、アップ中に空中でバランスを崩して、頭から落ちてしまって。とっさに「頭は守らなくては」と思ったものの、間に合いませんでした。途切れ途切れの意識の中、救急隊の方に腕や肩を触られてもまったく感覚がなく、やってもうたなあと思った記憶があります。このとき頸髄を損傷したことで鎖骨から下の感覚をほとんど失ってしまい、それは今に至るまで変わっていません。もちろん大変な事故ですし、周囲のみんなもすごくショックを受けていたんですが、私自身の頭に真っ先に頭に浮かんだのは「まあ生きてたし、よかったやん」という思いでした。

こういう話をすると、すごくポジティブな人間みたいに思われることもあるんですが、全然そんなことはなくて、むしろ細かいことをいつまでも引きずったり、ウジウジ悩んだりするタイプだと自分では思っています。ただ、この事故に関してはまったく思考がそっちに向かなくて。なぜでしょうね。死んでもおかしくなかったことを実感して、逆に「いま生きていること」に目が向いたのかもしれません。やりたいこと、できることを精一杯やってやろう、でないときっと後悔する。人間、明日死ぬかもしれないんやから──そういう気持ちになったんです。

「ぶつかっても、転んでもいい」
という魅力

そうはいっても、それだけの事故の直後に「できること」というのもだいぶ限られてはいました。しばらくはほとんど寝たきりで、でも、リハビリを重ねるうちにベッドで体を起こせるようになり、一人で座れるようになって、やがて食事や着替えもできるようになっていきました。思えば、体操やトランポリンで技を覚えていく感覚に少し似ていたかもしれませんね。やれなかったことが、できるようになっていく楽しさ。夢中になって取り組んだおかげで、大学への復学を果たすこともできました。

車いすに乗れるようになると、次第に生来の運動好きが再発してきました。それまでパラスポーツのことはほとんど何も知らなかったのですが、調べてみると本当にいろいろなジャンルがある。車いすツインバスケットボール※や陸上競技、卓球、水泳などさまざまな競技を体験してみて、自分にしっくり来る競技を模索していきました。その過程で出会ったのが車いすラグビーだったんです。
車いすラグビーは、選手と選手の激しいぶつかり合い(タックル)が特徴の競技。どうしても「転ばないように」「けがをしないように」といった方向に意識が行きがちな普段の生活とは真逆の世界で、そこにひきつけられました。「ぶつかっても怒られないのはええなあ」って(笑)。その気持ちが抑えきれず、クラブチームの門をたたいてメンバーに加えてもらったのが2015年のことです。

「やってみたい」の一心でクラブ入りしたものの、素人がいきなり飛び込んで活躍できるほど甘い世界ではありません。男女混合なのも車いすラグビーの特徴ですが、やはりほとんどは男の人ですし、ぶつかったら、ふっとばされるのは私。ひたすらに練習を重ねていく日々が続きました。
ただ、チームの皆さんはすごく暖かく指導してくれたんです。そこにはパラリンピックの日本代表として活躍した経験のある人や、今まさに次の代表入りを目指している人もいて、話を聞いているうちに自然と「どうせやるなら、自分もそこを目指したい」という気持ちがわき上がってきました。まだまだ全然技術は追いついていなくて、今から思えば何言ってんだという感じですが。

※一般の高さのゴールの他に低いゴールをもう一組設け、四肢麻痺のある人でも楽しめるよう考案されたバスケットボール。

実績ゼロの「アスリート」

勤務先である商船三井に入社したのもその頃のこと。車いすラグビーがどんどん面白くなってきている中で、自分がこれから社会の中で何をしていくべきか、何ができるのかを考えていたときに、アスリート枠で採用活動を行っている企業があることを知ったんです。縁あって商船三井に入社することができましたが、選手としての実績がほとんどなく、ただただ「やってみたい」という思いだけで走り出した私のことを「それでも応援したい」と言って迎え入れてくれたのだから、懐の深い会社ですよね(笑)

最初は週に3日勤務、2日を選手としての活動に当てる形で勤務がスタートしました。配属先は人事部で、その一員としてさまざまな業務を担当しています。特に注力しているのは社内に車いすラグビーをはじめとするパラスポーツの魅力を伝え、それを通じてダイバーシティへの理解を促進していく活動。車いすラグビーの体験会を開催したり、Web社内報で記事を書いたりしながら、少しずつ浸透を図っています。大会に応援に来たり、ボランティアとして大会運営に加わってくれる社員も増えてきて、いち担当者としてもうれしい限りですね。

念願の大舞台、そして

こうした会社のサポートもあって、2017年には日本代表の強化指定選手となることができました。これにより海外遠征を含むさまざまな試合に出場するチャンスが一気に増え、生活が一変。会社に出勤するのも週2日とさせてもらいました。めまぐるしい日々でしたが、日々、夢に近づいていっている実感があり、無我夢中で練習や試合に取り組んだのを覚えています。その積み重ねの結果、2018年の世界選手権に日本代表の一員として出場を果たし、金メダル獲得に貢献することができました。

大きな手応えを得て、次の目標はいよいよ念願のパラリンピック──ではあったんですが、オーバーワークがたたって肩に故障を抱えてしまったんです。慎重に調整しつつ、それでもできるだけの練習を重ねて、なんとか日本代表チームの一員としてパラリンピックの大舞台でプレーできることになりました。チームメンバーと一緒にすべてを出し切り、世界の強豪たちとがむしゃらに戦った5日間を経て、手にしたのは銅メダル。これはもちろん大きな成果だとは思うのですが、終わった直後は「金に届かなかった」という気持ちが強くて。悔しさが勝って、素直に「やった」とはどうして思えませんでした。

ただ、大会が終わって会う人、会う人が「試合見たよ」とか「あのプレーすごかったね」とか「おめでとう」とか言ってくれるんですね。商船三井でも盛大な祝賀会──コロナ禍につき残念ながらオンラインでしたが──を開いてくれて、トップから一般社員まで皆さんに暖かい言葉をかけてもらいました。おかげで、少しずつ結果を受け入れられるようになってきました。やれるだけのことはやった、精一杯力を尽くした、そんな自分を認められるようになってきたんです。

「楽」という文字が示す道

「パラリンピックに出場する」という大きな目標を立てて、それに向かってひたすら突き進んできたこの数年間。金という理想には届かなかったものの、その夢を叶えることができて、今はこれから何を目指したらええんかなと模索しているところです。もっと上を目指して「次は金」と言ってしまうこともできるのかもしれませんが、どちらかといえばもっとシンプルに、一つ一つの試合に出場することや、そこでプレーに興じることの楽しさに目を向けたいようにも思います。

この「楽しい」という言葉の中にある「楽」という文字は、私にとってちょっと特別な文字。リハビリに励んでいるときにお世話になった理学療法士さんが、私が施設を離れるときにノートにメッセージを書いてくださったんです。たくさんの励ましの言葉を書き連ねて、最後に大きく「楽」と一文字。がんばることも必要だけど、肩の力を抜いて気「楽」に、そして日々の生活を「楽」しむことが大事なんだと教わりました。
今いる場所でできることを積み重ね、思い切り楽しみながら生きていくこと。これからもそれを意識しながら、選手として、そして会社員としての人生を歩んでいきたいと考えています。

私にとっての
“CHALLENGE”

商船三井グループの価値観・行動規範「MOL CHARTS」。その一つ目の項目として掲げられているのが「CHARTS」の「C」、「CHALLENGE」です。目標を定めてそこに向かって挑戦を重ねていけば、大きな夢を叶えることができる──これはパラリンピックを目指して出場を果たした人間として、身をもって経験したことです。ただ、目標のスケールは実はあまり重要ではないのかもしれません。インタビューの中で出てきた「体操の新しい技をマスターする」とか「動かせる体の部分を使って一人でご飯が食べられるようになる」といった経験には、すべて「やってみる」というCHALLENGEの結果。ハードルを乗り越えて「できる」自分に出会うことはとても楽しい体験なので、これからもさまざまな形でCHALLENGEを続けていきたいですね。


MOL CHARTS

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